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独白

しがない大学生の独りよがりな独り言です

「一人一人が変われば社会は変わる」は迷信だ。

「一人一人が変われば社会は変わる」は迷信だ。

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「社会はある問題を抱えています。この社会問題はひとりひとりが抱える問題が集まってできています。だから、『ひとりひとり』が変わっていくことでこの社会は変わっていきます。」

このような論理が世間に溢れている。実際、自分もある時期まで「ひとりひとりが変われば社会は変わる」という思想を持っていた。

しかし、現在は違う。
「社会はある問題を抱えています。この社会問題は『ひとりひとり』とそのひとりひとりが作る『関係』の間の不調和です。『ひとりひとり』と同時に『関係』にもアプローチして、その相互作用としての問題を解決することが重要です。」という論理を使う。

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<社会を変えるとは何か>
 「社会を変える」には本当にいろんな意味合いがあるが、ここでは「社会の問題・課題を解決すること」くらいの意味合いでとらえる。

<社会とはなにか>
 社会は多様な意味で使われるが、ここでは「思考や感情を共有し、生活を共にする共同体」として捉える。個人の人間が結合して共同体を作り、それが社会にあたる。もう少し落とし込んで表現すると、社会は「ひとりひとり」とその間にできる「関係」である。

 しかし、それは単純な足し算ではない。もっと複雑な構造をしていて、引き算、掛け算、割り算も入り混じっている。最初に「ひとりひとり」があって、「関係」ができる。そしてその「関係」が「ひとりひとり」に影響をする。僕たちはそういう「関係」である人と人との「間」に生きている、「人間」である。

<「ひとりひとり」と「関係」>
 人間は生まれる前から「関係」の中で生きている。お母さんとへその緒でつながっているという関係を持つ。日本では助産師さんや産婦人科のお医者さんに手伝ってもらい産まれることで、次の「関係」が生まれる。そして年を重ねるごとに、お父さんやおじいちゃん、隣の家の子ども、公園で会うお友達のお母さん、学校のクラスメイトや先生、部活の先輩や同期、バイト先の店長、就職先の上司などと、徐々に自分と世界、自分と誰かとの「関係」を築き、その「関係」の中で生きて行く。

 そして、「ひとりひとり」の生き方や「ひとりひとり」自身は「関係」によって変わる。家族、クラス、部活、バイト先、地元とツレなど様々な「関係」で役割や自分自身を演じながら生きている。人間は基本的に「関係」から踏み出して生きることはできない。人間は「関係」を生きる生物である。

 一方で、「関係」には前提に「ひとりひとり」の存在がある。「ひとり」しかいない世界には「関係」は存在しない。「ふたり以上」があって、はじめてそこに「関係」が生まれる。つまり、「ひとりひとり」が最初にあって、次に「関係」ができる。すると、「関係」が強く「ひとりひとり」に影響を与える。社会は「ひとりひとり」と「関係」との相互作用である。

<問題>
 では、社会の問題はどこにあるのか?それは「ひとりひとり」と「関係」の相互作用の間である。例えば障害者の差別の問題。五体不満足であるとか、盲目であるとか、それ自体は問題でなはい。「関係」が自分と違う存在を排除しようとしている価値観を持っているとか、社会のシステムや街のデザインが彼らに対応していないとか、そういう「ひとりひとり」と「関係」の状態や事象との間に生じる不調和が障害であり、問題なのだ。

 個人の問題は、社会の問題、すなわち「ひとりひとり」と「関係」における間に生じる不調和の問題が具体的に現れたものである。自殺問題一つとっても、「ひとりひとり」の自殺の集積がそれにあたるのではない。社会の視点で考えると、「ひとりひとり」と「関係」との間に自殺は生じる。うつだってそうだ。「関係」との不調和の中ではじめて生じる事象である。

<「ひとりひとり」が変わることは解決になり得るか>
 このように考えると、「ひとりひとり」が変わっても問題は解決しないことがわかる。すなわち、「ひとりひとり」と「関係」の両方にアプローチをすることで、その間の不調和をなくしていくことでしか本質的に「社会を変える」ことはできない。なぜなら、問題は「間」に存在するから。

 そろそろ「ひとりひとりが変われば社会は変わる」という安直な思想は吹き飛ばす必要があると思う。そんなものは迷信だ。

<「ひとり」が変わることの重要性>
 これは決して「ひとりひとりが変わることは無駄なことである」と言っているわけではない。あくまで、「ひとりひとり」と「関係」の両方へのアプローチが重要であるという話である。「ひとりひとり」が変わらずに「関係」が変わることはないし、「関係」が変わらずに「ひとりひとり」が変わることもない。「ひとり」が変わることは、大きない一歩であり、そして一歩でしかないということだ。それに、「ひとり」も変えられない人間や組織が社会を変えることはできない。

<具体的にどう解決するのか>
 ではどうするのか。これは個人的に、社会のあらゆる問題へのクスリは「対話」であると考える。あらゆる問題が「ひとりひとり」と「関係」との相互作用、間に存在するのであれば、その間の溝をなんらかの方法で埋めていく必要がある。その際、絶対的な正義は存在しない。どちらか一方に完全に合わせることが解決ではなく、共通了解をつくっていく必要がある。つまり、「対話」を通して、「関係」の各レイヤーが求めていることをすり合わせ、共通価値である新たな価値観や文化をつくっていくことが、一つの解決策ではないかと思う。

※この辺りをしっかり話すとボリュームがえげつないことになるので、この辺はまたの機会に記してみます
※僕自身の「対話万能主義」みたいなものにはうんざりしている部分もあるので、そこを適確に指摘していただけたら嬉しいです

<自分はどうするのか>
 「対話」を実践していくことと「対話の文化」をつくること。今はまだ中途半端になっていて、自分を傷つける心づもりができておらず、自分が一定のライン以上傷つかないように「対話」を実践しているように感じる。「傷ついても大丈夫」というマインドセットと自分の思想をより磨いていくこと、頭の回転を速くすることなどが「対話」の実践を手伝うと思う。

 「対話の文化」つくりについては、「関係」へのアプローチに当たる。ただ、具体的に詰めていく必要があるなあというところかなと。

そしてなにより、自分が強みであり趣味でもある「ひとりで腰を据えてじっくり考え、文章にすること」を磨き続けて、たまに発信していくようにしていきたい。

「なるべく平易に書くぞ!」と意気込んだものの、後半で力尽きて抽象度が上がっていますが、ここまで読んでいただけて嬉しいです。ありがとうございます。

何か考えることがあった人は、是非まずはコメント欄で「対話」しましょう。